政治コラムの楽しみ

 このコラムは、日本の政治の動きを、スナップショットのようにとらえようと、一年半ほど前から本サイト上に連載を始めたものです。
 少なくとも週一本と心がけていますが、現実には、束縛のないインターネットという気楽さから、政治の動きの緩急を反映して、時期によってかなりばらつきの多い出稿となっています。あしからずご了承ください。
 私は10年ほど前に出版した「民主主義は究極の制度か」(河出書房新社)のなかで、「政治とは何か」という問題を理論的に追及しました。これを原論とするならば、このコラムは各論とでもいうべきものです。文章としてのおもしろさ、わかりやすさを追求する一方で、政治の本質に触れるような題材を選んできたつもりです。
 小泉劇場の終幕にともなって、去年の暮れ、最初の59回分を本にまとめ、オンデマンドで出版しました。(政治コラム「立ち上がったレッサーパンダ」)今後も、随時、本にしていくつもりなので、よろしくお願いします。

 このコラムを楽しみながらよむことで、生きた政治の一端にでも触れていただけるならば、筆者としては望外の幸せです。

       渡辺勝一

第9条は「たらいの水」?

 憲法改正の前提となる国民投票法案は衆議院を通過し、現在参議院で審議が進められている。安倍首相は、憲法記念日の5月3日までに間に合わせようと、参議院自民党に審議を急ぐよう、はっぱをかけている。
 ここにきて急浮上したのが、国民投票の結果を有効とするために最低限必要な投票率(最低投票率)を新たに法案に盛り込むかどうかという問題。90%近くが「もりこむべきだ」と答えた朝日新聞の世論調査の結果が論戦に拍車をかけた。この結果、はからずも、日本国憲法の本質があらわになった。
 野党側は、この問題を「てこ」に反攻に転じたい構えだが、そのさい障害となるのが、衆議院に提出され否決された、民主党の国民投票法案。与党案のみならず、この中にも最低投票率は盛り込まれていなかった。
 このことの背景には、もともと民主党内には憲法改正論者が多く、彼らが中心となって自民党と協力し、憲法を改正しやすくする方向で両党の法案づくりをしてきたという経緯がある。しかし、迫りくる参議院選挙に向けて安倍首相が憲法改正を争点にする姿勢を強めるにおよんで、民主党も対決姿勢を強め、法案の成立を阻止するために、あらためて最低投票率の議論を持ち出す動きを見せている。
 さて、現在の世界各国の憲法には、「基本的人権」および「統治機構」と呼ばれる、表現はともかく内実において、非常に良く似た部分が存在する。日本国憲法も例外ではなく、第10条から第95条(国民の権利及び義務、国会、内閣、裁判所・・・)までがそれにあたる。ここは、国の政策を作り出すための「民主主義の枠組み」を決めている部分である。
 これに対して、第1条から第9条までの部分(象徴天皇制と戦争の放棄)は、日本国憲法に独特の部分であるが、このうち象徴天皇制は広い意味(政治に関わらないというネガティブな意味)で統治機構の一部であると考えるならば、第9条の戦争放棄だけが他の条文とは本質を異にする。
 しからば、憲法9条の本質はと何か。私の考えでは、戦争放棄とは、それが歴史的にどれほど重みをもつものであろうと、決して「政策を作り出す枠組み」に関わるものではなく、安全保障についての「ひとつの政策」にすぎない。
 そして、あらゆる近代国家の憲法において、成文であれ、不文であり、改正が通常の法律より事実上難しくなっているのは、上に述べたように、改正が、具体的な政策ではなく、「政策を作り出す枠組み」そのものを変えることを意味するからである。
 したがって、国民投票制度を含む、日本国憲法における改正のたいへん厳しい仕組みも、本来、その統治機構や基本的人権の部分を守るためにあるのであって、単なる政策でしかない第9条を守るためのものではない、というべきであろう。
 ちなみに、憲法を改正してでも、生存権に代表される基本的人権を制限しなければならないのはどのようなときか。それは例えば自衛戦争のさなかなど、近代国家としての存亡の危機のときである。非常時のルールとして、憲法の改正があると考えるべきなのであろう。
 ところで、今回安倍首相が仕掛ける憲法改正の「真の狙い」は、その広範にわたる憲法改正草案にも関わらず、ただ一点、戦争の放棄をうたった第9条の改正にほかならない。そのためのハードルを下げようと、与党の国民投票法案は、憲法改正を成立させる条件としての「過半数」を国民全体ではなく有効投票の過半数とした上で、「最低投票率は設けない」などとしているのだ。
 ただし、今回の国民投票法案は、法律の仕組みとして、第9条の改正にだけ関わるものではなく、第9条以外の、国家としてははるかに重要な、民主主義の根幹に関わる部分の改正にも門を大きく開くものに他ならない。
 あまり考えたくない可能性であるが、将来、政治が大きく混乱して国民の関心が衰えたときに、独裁的な資質をもつ政治家が登場した場合、このような憲法改正への低いハードルがどのような結果をもたらすか。ぜひ想像力をはたらかせてほしい。
 このような危険を理解せず、ひたすら国民投票法の成立を急ぐ安倍内閣の姿勢に対しては、「たらいの水(第9条)といっしょに赤子(民主主義体制)を流す」おそれがあることを警告せざるをえない。

(07.04.19)

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